PUMAのバッシュの歴史「Crack編」

Minority Shoes Story

こんにちは。Minority Shoes Storyです。

今日はPUMAのバッシュの歴史についてお話しできたらなと。

かなり深いです。この歴史。

NIKEあたりとは比べ物にならないくらい。


PUMAのバッシュの歴史についてお話しする時に、外せないのはやっぱりClydeとSuede

ですが、今回お話しするのはPuma Crackというシューズについてです。

Puma Suedeが生まれるにはPuma Clydeがなくてはならなかった。

とともに、Puma Clydeが生まれるにはPuma Crackがなくてはならなかったのです。

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遡ること1968年のメキシコオリンピック。

男子200m走の金メダリストのトミー・スミス選手の足元を支えたのがこのCrackでした。

その表彰式で、トミー・スミス選手、そして同競技で銅メダリストのジョン・カーロス選手は黒い手袋を着用し、シューズは脱いで黒のストッキングが見える状態で表彰台に立っていました。

そして、星条旗が掲げられている間、手袋をつけた拳を挙げるパフォーマンスをしました。

これをブラックパワー・サリュートと呼び、アメリカ国内での黒人差別の撤廃を求めるパフォーマンスです。

オリンピックでの政治的パフォーマンスは御法度で、このパフォーマンス後、トニー・スミスとジョン・カーロスはオリンピックを永久追放されます。

ClydeのモデルになったのがCrackというお話をしましたが、もしかしたらこのブラックパワー・サリュートの一連の騒動がなければSuedeやClydeはおろか、Pumaというブランド自体もどうなっていたかわからないターニングポイントだったように思います。

というのも、Clydeというモデルは当時のバスケットボールのスタープレーヤー「Walter Frazier(ウォルト・フレイジャー)」通称Clydeが、このCrackを見つけてPumaに対し「Crackを元にバスケットシューズを作ってくれ」と依頼したのが始まり。

Pumaの歴史のほとんどはこのブラックパワー・サリュートとトニー・スミス。そしてPuma Crackから始まっているのです。

Clydeについてはまた今度。

こちらもかなり楽しいシューズです。

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